小田原再発見の旅(第1回歴史と文学編)、大成功。
5月21日(木)、青空に恵ぐまれて、
47名が集い開催されました。
呼びかけチラシ。
主催は、青空の会(小田原を元気にする市民の会)です。
講師は、竹村忠孝先生(童謡教育センター所長)。
今回の旅は、盛泰寺さんからスタートした。
盛泰寺には、大切な歴史と文学がある。
しかし、その存在は、ほとんど知られていない。
大友皇子の塚。
672年皇位継承をめぐる壬申の乱がおこる。
争いに敗れ、東国に住む帰化人を頼り、万葉の道を経て足柄の地へ。
大友皇子は漢詩人。大友黒主である。
大友黒主は、平安時代初期の優れた六歌人一人。
小野小町と争う相手役として登場するほどの人物だった。
歌壇「白路」主宰者、歌人万葉学者 森本治吉の墓
斉藤茂吉のアララギを継承する「白路」は、現在も盛泰寺を句会の場としている。
二十三世大航善雄和尚は、森本治吉に師事。
「俺が死んだら、善雄のお寺の墓でゆっくり眠りたい。」と、
森本氏は強く要望し、盛泰寺に眠っている。
明治40年から板橋に住んだ山県有朋は、
当時、伊藤左千夫(アララギ派)と、与謝野晶子らの、
対立を心配し、森鴎外に仲介を頼み、
毎月小田原で、短歌会を開催した。(古希庵)
閑院宮邸の門前にあった、お出迎えの松(右)。
歌人若浜汐子が、京都御所の橘の木を移植したもの(左)。
文化は心。無形な心を、形にして残すことが大切。
あくまでも、心が先(重要)であり、箱物は後。
福田思想が、いつしか建設思想になってしまった。
足柄の地は、京都と並び水の豊富な所。
都を創る有力な候補地だった。
まちづくりも文化。経済、環境、教養の三本柱が不可欠です。
少し分かりにくい場所にある。
そして、多くの人が、こちらの石碑に向かって手を合わせるが、
首塚は、初めの写真の方なので、念のため。
山月のパンフレトと、メニュー。
拝観料含め、コーヒーセット(750円)
昼食そばセット(1500円)
連絡先 0465(24)2316 11時より 年中無休
山月(旧男爵大倉喜八郎別邸)にて、
美味しい昼食を食べながら、歓談しました。
小田原は可能性の大地だ。皆で磨き出そう。
あの関東大震災でも倒壊しなかったここ山月も、大切な遺産。
今回は、ゆっくりと見学できなかったのが誠に残念でした。
今度はゆっくりとお訪ねしたい。
滄浪閣跡(伊藤博文公の胸像)
明治23年に、此の地に別邸を設けた。
そして、明治29年に大磯へ移した。
現在は、一般のお宅の敷地の片隅に、ひっそりと佇んでいます。
白秋童謡館が、最後の見学地。
日本で初めて童謡を作った白秋と、
小田原の関係を知る人は、まだまだ少ない。
白秋童謡のこみちが、此のたび整備された。(H21年4月5日)
童謡は、白秋と山田耕筰氏あってです。
是非小田原に、白秋、耕筰童謡館を造ってほしいと思いました。
ちなみに、現白秋童謡館は、旧伯爵田中光顕氏の別邸であり、
白秋との直接の関係はなく、一時的に間借りしているそうです。
本来のゆかりの地に、童謡館を造って来訪者をおもてなしできたらと、
思うのは、私だけでしょうか。
と言う訳で、慣れない為に、相当遅れてやっとアップできました。
やれやれです、トホホ。