大晦日に、京都の知恩院さんにお参りに行きました。
僕達は例年通り、12/30から1/2まで妻の実家(大阪)で、1/2から山梨の実家で過ごしました。
ただ今回は、12月31日に京都の知恩院(浄土宗の大本山)に、昨年、(故)義父が献体の務めを3年で終え帰宅、永代供養を受け入れていただきましたので、、お参りに初めて伺いました。 (正月は、ご先祖様が、お盆のように訪ねてこられることが、意外に知られていない)
昨年は、法然上人八百年大遠忌の年でもあり、妻と共に、厳かな気持ちでお参り致しました。
我が家は、浄土宗とご縁が深く、両親と妻の実家の菩提寺が皆、浄土宗です。
住まいに近く、お教の会に時々お邪魔し、親しくしていただいている春光院さんも浄土宗です。
(ある調べで、浄土宗は、信徒が648万人、全仏教信徒の1割強のようです)
また、宗祖法然上人は、自ら煩悩を戒め、仏教を一般人に布教した立派な方であり、心から懺悔し阿弥陀様に繋がれば、全ては許され極楽浄土に導かれると解り易く説かれた、誠に立派な方であることが分かり、このご縁に心から感謝致しております。
そして、この教えにより救われた弟子の中に、親鸞聖人(浄土真宗の宗祖)がおられます。
『南無阿弥陀仏』と一心に念仏すれば、全てのものが救っていただける。
親鸞聖人のおしえに、「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」があるが、
この場合の悪人とは、心から懺悔するものを指していることが重要です。
そして、心から救いを求めることも重要であり、真理に目覚めることができるのだと思います。
また、『南無』とは、帰依します、全てを委ねますということであり、
念仏の頭に唱えることが多いです。
そのように、絶対信頼できる存在に出会うために、人は、様々な苦難を乗り越えてゆくのかと思います。
人生の達人は、皆さん言われます。『お任せの人生だと』
この心境は、真理を極めた人だからこそ言える、絶対積極の境地なのですね。