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健康コラム

「時代の証言者」三浦雄一郎氏と、本田圭佑様

読売新聞に連載された「時代の証言者」
      (H24年3月22日~4月30日まで27回)
を読ませて頂き、
三浦さんの人生観、生き様に感動しました。

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そして今話題の、本田圭佑氏の言動が、見事にオーバーラップしました。

このお二人のメッセージは、今の日本人に、
大きな気づきと感動、そして勇気を与えてくれると思いました。

『時代の証言者・三浦雄一郎』の要旨

・1956年北大獣医学部を卒業後、助手になったが1年足らずで止める。
 自己主張が強く、持論を曲げない性格なので日本の学者の世界では務まらないと
 見抜いていた妻は、驚きもしなかった。そして、ともにスキーでオリンピックを目指しました。
・1959年、アルペン競技で実力はあったが、
 協会に楯突いたとされ「三浦はアマチュアスキー界から永久追放」される。
 今にしてみれば、追放されたことが良かった!
・1962年、30歳になろうとするとき、プロスキー選手権の存在を知り、賞金レースに挑戦する。
・1966年4月、富士山パラシュート直滑降を成功。
・1970年、エベレスト8000mからのスキー大滑降!
 赤井電機社長、橋本龍太郎さん、石原慎太郎さんらに力添えいただき、
 大阪万博の記念事業として決行!
・大滑降は、想像を絶する結果になったが、
 奇跡的に生還!「自分はもう一度、三浦雄一郎に出会った!」と思った。
・1971年、参議院選挙に自民党から出るように要請があったが、
 教育改革をしたい(心身の豊かさを重視する教育が大事)、
 文部大臣にしてくれるならお受けしますと言った。

・政界や企業に入るよう話をいただきながらも、
 前人未到の夢を追い自由という道を選んできた。
 そんな僕が子供たちに伝えられるのは、「生き方」そのものだと思います。
・1976年、エベレストをスキーで大滑降の模様が映画化され、
 長編記録映画部門でアカデミー賞を取ってしまう。
・1985年、53歳。7大陸最高峰すべてで、滑降を成し遂げて、
 初めて冒険家としての引退を意識しました。
・1992年、60歳。身長164センチ、体重86キロ。立派なメタボの典型に。
 階段を上るとめまいがし、狭心症の症状も出て、
 検査結果は、心臓、血糖値、血圧、腎臓の値が臨界点でした。
 暴飲暴食が直接の原因でも、
 本当の理由は、「夢と目標を持たなくなったこと」と悟りました。

・父・敬三は、1992年に88歳で、アルプスをスキーで縦走。
 「次は白寿(99歳)でモンブランを滑る」と、日々訓練と節制。
 次男の豪太も、長野五輪に向け競技を続けていたことが、僕の心を再び燃え上がらせた。
・僕は強烈な目的意識がないと、動かないタイプ。ワクワクする夢が必要だ。
 5年後70歳で、エベレストに登ろう!
・2008年、75歳。2度目の登頂を目指し挑戦。
 不測の事態、次男・豪太が、重症の高山病、脳浮腫を発症。
 豪太が、無事下山したことを知り、登頂を目指し、見事到達。
 そこは、黒に近い紺色の空、吸い込まれそうな宇宙の色です。宇宙と地球が溶け合う接点。
 地球が丸いのが、よくわかります。
 その時すでに、心のどこかで、80歳での3度目の挑戦を意識していました。
・2009年、76歳。札幌の手稲スキー場で、
 大腿骨の付け根と骨盤を骨折する、全治5ヶ月の大怪我を負ってしまう。

・この年齢での大怪我は、歩けなくなることさえある。
 しかし、悲観的なことは全く考えず、2ヶ月半で退院しました。
 この強い思いを持ち続けられたのは、父・敬三の影響が大きかった。
・101歳と11ヶ月で、2006年に逝った父は、
 97歳で背骨を折る大怪我をしながら、入院せず自分で治してしまった。
 これは、2003年に99歳で、モンブランの氷河を滑ると言う、
 高い目標を持ち続けたことが、生命力の強さになったのです。

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・エベレストの山頂では、低酸素、低温の極限状態で、20歳が90歳並みの体力になる。
 80歳だと150歳に自分にチャレンジするわけです。
・「夢というのは可能性です」それに向かい命を燃やすことで、
 人は心と体の生命力を高めることもできるのです。

・メタボの65歳で一念発起し、不整脈を抱えてエベレストに2度登った僕が、そのいい見本です。
・夢のある目標に向けて、日々気持ちよく歩きだけでも、
 脳内部質が活性化して、やる気や達成感が増します。
・夢を持つのに遅いということはありません。
 まずは心のスイッチを入れることです。

・クラーク記念国際高校の初代校長を引き受けたのも、そんな思いからです。
・この高校は、画一的な教育に適応できず不登校などになった生徒たちが、
 自分らしさや夢を見つけて巣立っていきます。
・今の日本は、95%近い人が一つの型にはまっている気がします。
 それは安全で安定しているからです。(平和ボケです)

 しかし、その安全安定が、危うくなった今、
 この国を時代をより良くするために、リードする想像力を持つ者は、
 異端とみられるぐらいの「飛び出した人」達。
 リスクを冒し夢をあきらめない「精神の冒険家」達です。

 実はそう言う人は、潜在的に日本に沢山いると思います。

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 その一人が、本田圭佑氏だと思います。ブログをご覧下さい

・夢は僕の人生を豊かにし、生きがいを与えてくれた。
 父のように、生涯現役の挑戦者でありたいと思います。

・そして最後に、朋子夫人の言葉で締めくくりたいと思います。
 『本人(雄一郎)は、信じていることは誰が何と言ってもやる人なんです』
 この奥様があってこそ、今の雄一郎氏があるのだと思います。
 (一度お会いしましたが、とてもしっかりした女将さんでした)

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 雄一郎氏自身も、「運命のいたずらかもしれないが、
            今振り返ると妻と出会えて本当に良かった」

  と、連載の第6回で、おっしゃっています。 
 夫婦は、人生において本当に大切な存在なんだと、改めて思いました。
 (夫婦は50対50で対等です)

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